寄席紳士録

一門系図

柳家金語楼とその一門

「柳家金語楼とその一門 - 古今東西寄席紳士録」昭和の爆笑王・柳家金語楼は若くに売り出し、落語芸術協会の基礎を築いたこともあり、一門を築いた。ただ当人が喜劇や漫芸を十八番にしたこともあり、純然たる落語家よりも個性豊かな面々や色物が集った。漫才から紙切りまで取り揃えた一門も珍しい。
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三代目春風亭柳好とその一門

「三代目春風亭柳好とその一門 - 古今東西寄席紳士録」三代目春風亭柳好は長い芸歴の割にはそこまで弟子育成に熱心ではなく、ほとんどが戦後に集まった人ばかりであった。急逝したため真打に上りつめた弟子はいなかったが、四代目柳好をはじめ、芸術協会の名物芸人を輩出した。
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七代目三笑亭可楽とその一門

「七代目三笑亭可楽とその一門 - 古今東西寄席紳士録」小さんの影法師と称された七代目三笑亭可楽は長年売れなかったこともあり、弟子を取ることはほとんどなかった。兄弟弟子であった柳亭芝楽を迎えいれ、三遊亭圓橘を襲名させたくらいか。稽古をした若手には五代目小さんがいる。
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三代目柳家つばめとその一門

「三代目柳家つばめとその一門 - 古今東西寄席紳士録」三代目柳家つばめは音曲師的な一面があった事、早くに病気に倒れたこともあり、弟子を多くとらなかったが愛弟子のさくらは後に橘右近と名乗り、寄席にはなくてはならない寄席文字の完成者として名を成した。
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五代目三遊亭圓生とその一門

「五代目三遊亭圓生とその一門 - 古今東西寄席紳士録」デブの圓生は協会を転々とした関係もあってか弟子を取ることはあまり積極的ではなかった。息子の圓晃をはじめ、関西の三遊亭百生などを引き取ってはいるが、彼の下から真打になった者はいない。
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六代目春風亭柳枝とその一門

「六代目春風亭柳枝とその一門 - 古今東西寄席紳士録」六代目春風亭柳枝は華柳門下の高弟として活躍。勉強家で育成熱心だったこともあり多くの弟子が集った。その多くは預かり弟子であったが柳枝は彼らをキチンと導いたという。
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八代目入船亭扇橋とその一門

「八代目入船亭扇橋とその一門 - 古今東西寄席紳士録」落語界の宗匠と謳われた八代目入船亭扇橋は地味な人柄ゆえに弟子をあまり囲わなかった。息子は一時期日の出の勢いで、都々逸坊扇歌を襲名するほどであったが、今はこの系譜は絶えている。
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五代目柳亭左楽とその一門

「五代目柳亭左楽とその一門 - 古今東西寄席紳士録」五代目さんと称された柳亭左楽は明治末から弟子を抱え、戦後まで多くの弟子を輩出した。桂文楽を筆頭にその数は十数名。色物まで抱え、一代の一門を築き上げた。文楽、可楽、痴楽――と今日の一門系図にも多大な影響を与えている。
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柳家三語楼とその一門

「柳家三語楼とその一門 - 古今東西寄席紳士録」大正の爆笑王・柳家三語楼はその人気と名声だけに多くの門下生を抱えた。門下生の育成もうまく、戦後の爆笑派と称される古今亭志ん生をはじめ、柳家金語楼、初代柳家権太楼、七代目正蔵などの爆笑派の人気者を輩出。今も影響力を持っている。
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六代目林家正蔵とその一門

「六代目林家正蔵とその一門 - 古今東西寄席紳士録」六代目林家正蔵は柳派きっての勉強家として知られ、学者としても有名であった。夭折した関係もあり弟子は多くなかったが、紙切り芸を大成させた初代林家正楽が出ている。