一門系図 初代三遊亭小圓遊とその一門 「初代三遊亭小圓遊とその一門 - 古今東西寄席紳士録」初代三遊亭小圓遊は天才と称されたが、三〇代で夭折を遂げた。そのため、弟子の数は少なかったが、戦前の大看板となった三代目三遊亭圓遊を輩出している。 2024.10.22 一門系図
一門系図 五代目三升家小勝とその一門 「五代目三升家小勝とその一門 - 古今東西寄席紳士録」五代目三升家小勝は長い長い放浪の末に大真打となった苦労の人。最終的には落語協会会長にまで上り詰めている。弟子には反対俥の立川談志、四代目柳家つばめ、三升家勝太郎、声色の悠玄亭玉介、音曲の橘家米蔵と個性的な人材がそろった。 2024.10.21 一門系図
一門系図 三代目春風亭柳朝とその一門 「三代目春風亭柳朝とその一門 - 古今東西寄席紳士録」初音屋と称された三代目春風亭柳朝は弟子こそ少なかったものの、落語協会会長にまで上り詰めた三升家小勝を真打にまで導いた名伯楽であった。また四代目柳朝を継いだ四代目つばめは隠し子ともいう。 2024.10.20 一門系図
一門系図 三代目三遊亭圓橘とその一門 「三代目三遊亭圓橘とその一門 - 古今東西寄席紳士録」三代目三遊亭圓橘は三遊亭圓遊の弟子ながら、叔父弟子の名跡を継承した。山っ気が多く、演芸会社などから飛び出したりした関係からか弟子は多くない。古今亭志ん生の初めの師匠であった三遊亭圓盛がいるくらいか。 2024.10.19 一門系図
一門系図 初代三遊亭圓歌とその一門 「初代三遊亭圓歌とその一門 - 古今東西寄席紳士録」初代圓歌は明治末から昭和初頭にかけて活躍した落語家。昭和の人気者であった三代目三遊亭金馬、二代目三遊亭圓歌はこの人の門下から出ている。息子の吉之助は長唄に転身し、杵屋勝次郎を襲名。大看板となった。 2024.10.18 一門系図
一門系図 初代桂小南とその一門 「初代桂小南とその一門 - 古今東西寄席紳士録」初代桂小南は関西の落語家ながら、東京へ定住し東京で一枚看板になったという特異な存在であった。我が強かった関係から彼の下から真打は出なかったが、名人桂文楽をはじめ優秀な人材が何人か出た。 2024.10.17 一門系図
一門系図 二代目三遊亭金馬とその一門 「二代目三遊亭金馬とその一門 - 古今東西寄席紳士録」二代目三遊亭金馬は明治末に真打になって間もなくより弟子や身内を抱えるようになり、旅回りを中心に活躍をつづけた。弟子の多くは旅回り同行者であり、大体は他に移籍したが、柳家金語楼親子、七代目雷門助六、田辺南鶴などを輩出している。 2024.10.16 一門系図
一門系図 三代目古今亭今輔とその一門 「三代目古今亭今輔とその一門 - 古今東西寄席紳士録」せっかちの今輔と謳われた古今亭今輔は柳派の重鎮であったが、弟子は少なく、とってもほかの一門に移籍する場合が多かった。戦後も活躍した二代目桂枝太郎、毒舌の鈴々舎馬風が一時期門下にいた程度だろうか。 2024.10.15 一門系図
一門系図 四代目三升亭小勝とその一門 「四代目三升亭小勝とその一門 - 古今東西寄席紳士録」四代目三升亭小勝は柳派の幹部として活躍したが中年以降は駆け落ちし、大阪へ移籍したために弟子が少ない。三代目古今亭今輔、二代目松柳亭鶴枝が少し世話になっていた程度か。今日では新派俳優・伊志井寛の父として知られる。 2024.10.14 一門系図
一門系図 三代目古今亭志ん生とその一門 「三代目古今亭志ん生とその一門 - 古今東西寄席紳士録」三代目古今亭志ん生は二代目今助門下の俊英。前名は雷門助六と言った。彼が左楽門下の柳亭左市を引き取り、六代目雷門助六を譲ったことにより、雷門一門が誕生。今の助六・小助六・音助はこの人の流れをくむ。 2024.10.13 一門系図